「盆帰り =まがうとき外伝=」  「りえねえ…」  子供を抱いたまま微笑んでいる遺影の前で、私は線香をくべていた… そして、胸が締め付けられる思いで、手を合わせながら子供の頃を思い 出していた…  ”りえねえ”と私は2つ違いである。彼女は昔私の家の隣に住むお姉 さんで、子供の頃から私を弟の様に可愛がってくれた女である。本当の 名前は”理恵子”と言う。  私は彼女のことを「りえねえ、りえねえ」と呼んでしょっちゅう、後 にくっついて行ったのを覚えている。おかげで私は草野球やメンコ,ビー 玉,銀玉でっぽうなどの遊びよりも、ゴム飛び,ままごと,折り紙など を先に覚えてしまった。  おかげで、近所の男の子の達に「女くせー」とか「男おんな」とか良 く馬鹿にされた。  しかし、私はなぜか”りえねえ”や彼女の友達に可愛がられていたの で、その都度”りえねえ”はじめ、彼女の友達が束になってかばってく れたので、(女の子は集団になると怖い…)、小学校の高学年になると、 逆に周りの男の子から羨ましがられるようになった。  長ずるに連れ、遊びの内容は変わったが、私は相変わらず”りえねえ” と彼女の友達と遊んだ…とは言っても、当時爆発的な流行をしたゲーム センターでの対戦相手兼用心棒であったり、買い物の荷物持ちであっあ りしたが…それでも、彼女らは積極的に私を誘って、おしゃべりの輪に 加えてくれたりしてくれた。  ”りえねえ”が女子高に行くようになって、段々遊ぶ回数が減ったが、 彼女達は、私を誘ってくれた。  …そうして、女性の集団に囲まれてちやほやされていたせいか、私は 女性の本性が自然に判って居たつもりだったが、彼女らは肝心なことは 私には教えてはくれず、いい気になっていた私は、「大口を開けていれ ば、餌(彼女)は自然にやってくる」と思ったばかりに、32歳になっ ても未だに嫁が来ない…  ”りえねえ”達が短大に入ると、私はお呼びがかからなくなった…  まあ、それでも”りえねえ”達と一緒にいたことが長かったせいか、 私はおっとりな性格だったので、別に気にしていなかった。  ”りえねえ”が就職すると、彼女の就職先(埼玉県)に彼女の一家は 引っ越してしまった。  それでも、”りえねえ”と私は時々逢ったり、文通していたりした。  それから数年後…ある日突然、”りえねえ”から、「結婚します」と 一言手紙で告白されたときは、驚いた。  大抵、そう言うときの驚き方は、”りえねえ”にいつの間にか恋人が 出来て「鳶に油揚げをさらわれた」ごとくの驚き方をするだろうが、私 は、「結婚します」と言われて驚いた程度であった…  結婚式当日、披露宴会場に呼ばれた私は、臨席した彼女の幼友達(私 がよく遊んで貰った人達)は、皆口々に  「りえこは、まーちゃん(私のこと)と、結婚するものとばかり思っ ていた」 と、驚きの言葉を発していた。  そのため、彼女達の数人は前々から私のことを狙っていたらしいが、 私に”りえねえ”が居るため、あきらめて別の男と結婚したと言うのを 当日初めて知った。  しかし、”りえねえ”と私は別に男女の仲ではなく、仲の良い姉弟、 もしくは、よき幼友達程度の物であった。  …ついさっきまでは…  ”りえねえ”の旦那様は、”りえねえ”が選んだ人だけあってそれは 良くできた人で、私を実の弟のように可愛がってくれ、結婚して引っ越 した八王子の新居に、良く私を招いてくれた。  最初の内は、ホイホイと遊びに行っていたが、その内”りえねえ”に 子供が産まれると、相手に迷惑だからと親に止められ、私は”りえねえ” の所に行かなくなった…  …そして、5年、仕事で連日忙殺されている私の所に訃報が舞い込ん できた…しかし、私は仕事が忙しく、お通夜にも葬儀にも出席できなか った。  …そして、また数年、私はその事をしっかり記憶の隅に埋没させてい た… * * * * * * * * *  「あーーーっ、これじゃ家に帰るのは夜になっちまう…」  国道20号線、大垂水峠の登り方面車線で私は渋滞に捕まっていた。  その日、津久井湖にドライブに出かけた私は、その帰りのルートを相 模湖を通って国道20号線に抜けて行くルートを取った。  JR相模湖駅で一休みをした私は、駅前を通っている国道20号を一 路東京に向けて出発した。  お盆の時期であったので、下り車線は大変混雑しているのを横目で見 ながら、快調に飛ばしている私の目に、突然前方に渋滞が飛び込んでき た。  慌ててブレーキを踏み速度を落して渋滞の後方に付け、ルームミラー 越しに後ろを見るとると、私の後ろには既に数台の車が連なっていた…  日は日没に近く、山道の大垂水峠は既に薄暗くなっていた。  なかなか動かない渋滞にイライラしながら、私はCDを聴いていた。  朝からのドライブで、10連装のCDも、二巡目に入っていた…  …あれから、どのくらい経ったのか気にしていなかったので判らなか ったが、車が大垂水峠を越えて高尾山の入り口に着いた頃は、山の間か ら見える空は真っ黒に染まっていた…  「…高尾山の入り口の信号が渋滞の原因だったか…」 と、呆れていた私は尿意をもよおして高尾山の駐車場に車を入れた。  車の所にやってきた駐車場の係員に事情を説明して、駐車場の番小屋 の裏に車を置かせて貰うと、私はトイレに駆け込んでいった。  やっと一息入れて車のある場所まで戻ってみると、山の間ですっかり 暗くなった車の前には子供を抱いた女性が一人たたずんでいた…  女性はこちらに背を向けたまま、抱いている子供をあやしている様に 見えた。  私は、不審に思ってしばしその場で立ちすくんだ、なぜなら、過去に この車の前のオーナーの霊と似たような状況で出会ったことがあるから である。が、その女性になにか自分が知っているような雰囲気が感じら れたので、私は車に近づいた。  車に近づき、駐車場のライトに照らされている車の前にたたずんでい る女性の顔を肩越しに見て私はハッとなった。  …それは、私が子供の頃隣の家に住んでいたお姉さんであったからで ある。  私は驚いて立ち止まり、無意識に  「…りえねえ…」 と、子供の頃に彼女を呼んでいた愛称で呼ぶと、彼女はギョッとしてこ ちらに振り返った…  「…あら、まーちゃん」  驚いて振り返った彼女は、私の顔を見て私のことを昔のように呼んで 微笑んだ。  「やっぱり、りえねえか…」  私は、ホッとして彼女の元に行った。  「偶然ね、どこかで見たことがある車があるから、もしやと思って見 ていたら、やっぱりまーちゃんの車だったのね」  「どうして判ったの?」  首を傾げて聴く私に、彼女は車のフロントバンパーを指さして、  「ほら…このフォグランプ…以前、まーちゃんが日本に数個しかないっ て自慢していた物だし…それに、この傷は前に家に来たとき誤って電柱 にぶつけた時の物でしょう…?」  彼女の言葉に、私は「ははは…」と苦笑いをしていた。  「でも、なんで高尾なんかにいるの?」  「旦那と遊びに来たんだけど、用事があるって先に帰っちゃった…」 と、苦笑いをした。  「ふーーん、そうなんだ…」  私は、彼女の旦那の忙しさを知っている。だからこの時、別に不審に 思わなかった…  「これから、家に帰るの?」  「うん」  「それじゃ、これも何かの縁だろうから、僕が送っていってあげよう か?」  「本当?助かるわぁ!!」  彼女の顔が明るくなった。  私は彼女を助手席に乗せると、車を発進させた。  「そうそう…まーちゃんはこの子を見るのが初めてだったわね」  「うん」  「ほらぁ…始めまちて、ゆりこちゃんでちゅよーー」 と、彼女は抱いている子供を私の方に向けて、赤ちゃん言葉で言った。  子供はきょとんとして母親に似ていない大きな目を見開いて私を見て いた。  「ゆりこちゃん、おじさまでちゅよーー」  彼女はそう言って、子供の手を取って振って見せた。  「こんにちはーー、ゆりこちゃん」 と、私が言うと子供はニコッと笑った。  「あらーー、珍しいわね、この子結構人見知りが激しいんだけど…」 と、彼女は驚いていたが、顔は喜んでいた。  「いくつになったの?」  「もうじき二歳になるわ、立ってちょろちょろ歩き回るから、目が離 せないの…」  「八王子の家でいいんだよね?」  「あっ…まーちゃん、あつかましいようだけど、悪いけど、実家に行 ってくれない?」  「…ん?所沢の?…どうして?」  「あっ、いやべつにまーちゃんが忙しかったらいいんだけど、旦那が 呼び出されると、2,3日は帰ってこないから、その間に実家に居よう かなって…」  「あ?…別に暇だからいいよ。でも、りえねえ仕事辞めちゃったの?」  「えっ?ええ…この子が生まれてから、仕事辞めちゃった」  彼女が素っ頓狂な言葉で返事したのが一寸引っかかったが、特に気に しなかった。  彼女が仕事が面白くて、結婚しても仕事を続けていく言う条件で、今 の旦那と結婚した事を知っている私は、  (…子供が産まれると、大変だと言うし…) と、思った。  高尾山口の信号から先は大変空いていて、大垂水峠の渋滞は何だった のだろうと言うほど、快調に車は走っていった。  その間、私と彼女はとりとめのない会話や世間話をしていた…しかし、 彼女がここ1,2年の話題になると話が合わなかった…  八王子から国道16号線に入って所沢を目指した。  「…そう、えっちゃん入院してるの…」  「…うん…ガンだって、実はもう長くないんだって…」  私と彼女は、子供の頃から一緒になって遊んだ女の子のことを話して いた。  「まだ、若いのに…たしか、まーちゃんより3つ年下だっけ?」  「うん」  「見舞いに行こう行こうと思ってたんだけど、この通り、私も旦那も 忙しくって…つい…」  「そうだね、りえねえが行ったら、えっちゃん喜ぶよ!」  私は、我が事のように喜んで言ったが、2人とも暗く沈んでいた…  やがて、道の向こうから所沢の町の灯が見えてきた。  所沢の市街地に入り、彼女の家の近所にさしかかったとき、急に彼女 が、  「止めて!」  不意に叫ばれたので、私は驚いて急ブレーキを踏んだ。  「…えっ…?りえねえの家はまだ先だよ!!」  驚いて彼女の方に振り返った私の目には、暗くうつむいたままの彼女 の姿が映った。そして、街路灯に映し出された彼女は少し震えているよ うだった…  「いいから…いいから…」  そう言う彼女の言葉は、まるで嗚咽に等しかった…  その時の彼女の表情を見て初めて気が付いたが、彼女はだいぶ蒼白い 顔色をしていた。  街路灯のせいかと思ったが、そうでもないらしい…  …その顔から、一筋二筋の涙が頬を伝っていた…  彼女は、涙を指ですくいながら、  「ごめんね…まーちゃん、実ね…私、子供の頃からまーちゃんが好き だったの!」  突然思わぬ告白に、私は驚いて口をあんぐりと開けたまま彼女を見て いた。  そんな間の抜けた表情の私を見ることなく、彼女は言葉を続けた。  「…でも、まーちゃんを見る度恋人としてよりも、弟と言った気持ち が強くって…でも、旦那と結婚して判ったの…まーちゃんが好きだった って…ううん、今では旦那の方が好きよ!この子もいるしね!!」  と、最初暗いトーンから、段々明るい調子になって彼女は言った。そ して、そのかいなに抱いた赤ん坊を抱きしめた。  その最後の「今では旦那の方が好きよ!」と言う言葉を聞いて、私は なぜか安心した。なぜだろう…なぜそう思ったか判らなかった…多分、 一生かかっても理解が出来ないのでは無いかと思った…  「…しかし…なにを…」 と、私は彼女の言葉の意味を知っていてわざと冗談として受け取ろうと して、言った言葉の端が詰まった…  「…それじゃ、ここで降りるから、まーちゃん帰っていいわよ」 と、言って彼女は車から降りた。  私は引き留めようと思ったが、いつものおっとりとした性格なので、 ただ黙って見ていた。  「ありがとう…まーちゃん…」  子供の手を取って手を振ると、彼女は静かに家の方に向かって歩いて いった。  しかし、その姿は、暗い道であったせいかまるで闇にとけ込むような 気がした…  私は、何を思ったか、  「りえねえ!!」  私は叫んだが、彼女の姿は既に消えていた。  東京方面の幹線道路に行こうとしたが、私はまた尿意をもよおし、挨 拶ついでにトイレを借りようと、私は彼女の家に向かった。  玄関で呼び鈴を押すと、彼女の母親が出てきて、私の顔を見るなり驚 いた顔をした。  私は別段気にせず、ひとまずトイレを借り、トイレから出てきた私が 彼女の姿を探すと、彼女の母親は急に泣き出した。  私は訳が分からず、彼女の母親に話を聞くと、彼女は2年ほど前交通 事故で亡くなったと言う…  「そんな馬鹿な…さっきまで、りえねえと一緒に高尾から車で来たっ てぇのに…」 と言うと、彼女の母親は目をむいて今にも卒倒しそうになった…  彼女の母親の気をしっかりもたせ詳細を聴くと、2年前、彼女は旦那 と子供と高尾に遊びに行ったそうだ。  高尾山口の駐車場で一寸目を離した隙に子供が道路に出ていって、気 づいた彼女が子供を連れ戻しに出ていったところで、子供ごとトラック に轢かれたそうだ。  その話を聞いて、私は背筋が凍った…そして、記憶の隅に埋没してい た物が蘇った…その途端、  「りえねえ…ごめん!!」  私は、畳に額を擦り付けんばかりに土下座して彼女の母親の指す彼女 の遺影に向かって心の底から謝った。そして、大粒の涙をポロポロとこ ぼした。 * * * * * * * * *  …車で家に帰る途中、私の胸は後悔の念で一杯であった…  …あれは、きっと彼女の事を忘れている私に対する、彼女のささやか な盆帰りだったのだろう…そう思うと、まだ涙が出てきた… 藤次郎正秀